開会式は他の国に住むボツワナの隊員仲間たちと次に入場してくる国クイズで盛り上がった途上国贔屓のもと隊員です。そんなクイズが成立ほどにマイナー国の名前が頭に入ってるのは、同期隊員たちの影響かな。JICAボランティアで派遣されなかったら、知りもしなかった。
最近はfbもツイッターも、各国隊員たちの郷土愛(派遣国選手の出場シェア)で溢れてます。
メダルラッシュの何がいいのかわからない
日本はメダルラッシュだ!で沸いてるらしいですね。パラオからはそういう日本を複雑な気持ちで見ています。オリンピックって先進国のための大会でしかない感がこの1年くらいでますます強くなった。コロナで余裕なくなったせいもあり、なおさら。
メダルラッシュってそんなに嬉しいこと? それって、特定の国しか盛り上がらないってことなんだけど。メダルランキングとか出されても結局上位は経済大国ばっかりで、日本にただ住んでた頃は「わあすごい」で私も盛り上がってたと思うけど、今は一体何が面白いんんだかがわからない。
広告業的に言わせれば基本的にオリンピックは広告業者のためのものなので、仕方ない。日本の招致だっておそらく言い出しは某広告業社だ(と、当時ちょいちょい耳にした)。
多様性
もうちょっとこの機会にマイナーな国にも目を向けてほしい、そうなってから「多様性」って言葉をうたってほしい って思った。
そんなわけでこんな記事を見つける↓
祖国に凱旋 ソロモン諸島の日本人選手団長、五輪の「希望と不安」
パラオとか太平洋の島々は人口が少ないです。なので、オリンピックに出るのが圧倒的に簡単。記録だけの話をするなら、陸上100mは東京都のインターハイ支部予選をギリギリ通過できる程度のタイムでオリンピックに出場できます。
じゃあ、自分がもし大洋州の島に生まれ育ったとして、日本で生まれて高校に通って出した記録が出せるかといったら絶対無理です。圧倒的に不利な条件が全てにおいて付いて回ります。練習環境、周囲の「常識」、加えてあげておきたいのが気候。赤道付近の国々は日中の気温が高く練習に不向きな時間が長すぎます。炎天下に適応したパフォーマンスの出し方になっていきますが、国際競技会を赤道付近ですることはほぼない。途上国である以上、自国大会ってのはあり得ないんです。東京の暑さにテニス選手が「選手のパフォーマンスが落ちる」というコメントしてたようですが、その落ちる状況に適応していると別の競技になっていくんです。
競技も限度は当然あって、やれる競技とやれない競技はあります。競技にかかるコストも様々。大洋州の島々は海洋国家なので泳ぐの強いだろうと思うだろうけど、淡水のプールを用意するのって結構なコストなんです。だから水泳選手となると別物。
コストがおそらくもっともかからないのは走系競技。でも、それですら研究され尽くし、経済大国ばっかりがどんどん有利になっていると思う。アフリカ内部は経済発展してる国の方が有利になっているのが鮮明。
新競技に「マイクロ・オール・アラウンド」
途上国の選手に先進国で発展した競技をさせる試みはされてきたわけだけど、結局、格差に阻まれる。だったら逆に途上国発の競技をオリンピックの種目にするっていう試みは? 国際協力の現場では二つのアプローチがある。一つは先進国から持ち込み現地に適応させる方法と、現地文化をベースにして発展させる方法。
インクルーシブとか誰も取り残さないとか、その方法は必ずしも自分たちの方に途上国の人を引き入れることではない。自分の土俵に呼びつけて、自分たちのルールで競技をするのではなく、相手の土俵に立ってみたらいいんだ。
マイクロ・オール・アラウンドはミクロネシアの競技でヤシの木登りや潜水、ヤシの実の皮むき、ヤシの実削り、やり投げなどの5種目で得点を競うもの。ヤシの木が一般的でない国では練習そのものが難しく、不利な状況を迫られるだろう。それでも、程度の記録でオリンピックに出れるというなら挑戦する人が出るだろ?(マイクロ・オール・アラウンドについて詳しくはこちら)
多様性っていうのはそういうとこから生まれると思うよ。
開催地にヤシの木がないって?そんなものは頑張って植えてくれ。あれ意外と、北でも成長するらしいから。