来年で日本をたってから10年目を迎えます。先日は誕生日を迎え42歳になりました。なんと、パラオ国際サンゴ礁センターで正規スタッフになってから5年ですよ。勤続5年目表彰を受けました。

今まではこんな賞出してなかったんですが、感謝祭にスタッフ賞とか省庁が出してるので、うちもやろうとしたっぽい。人数少ないし、スタッフ賞にすると「なぜあいつなのか?」というわだかまりを生み、選ばれなかったやつの気力を削ぐので、わたしもあれはやめたほうがいいと思う。しかも絶対親戚仲良しばっかり選ぶし。金一封とかもなくていい。

トロフィーと賞状のデザインは私にきてたので、やりました。

背景の透かし写真はそれぞれ5年、10年、15年、20年前のスタッフ集合写真を引っ張り出してきて使用。みんな細くて若い10年前! トロフィーのポートフォリオ用カット撮るの忘れてたわw

そもそも政府省庁と違い、うちは年に1度の業務評価があり、勤続自体が難しい。パラオ人も外国人もクビになったスタッフは相当数歴代にいる。

わたしはJICAできた8ヶ月も滞在した中でこの仕事をやる人が必要という認識で雇われたので、しかも競合がいないし、クビの危機に晒されることは基本なく、よっぽど鬱になったりとかで滞在途中で狂って帰国になった外国人は今までいたけど、それもなく心身ともに無事にいる。(意外と心身ともに無事が一番難しいか・・・)

そんなことより、JICAで着任した当時はCPのうちの一人で、わたしの仕事をやってみたいということで技術移転対象になってたけれど、できるようにはならず、それでも経理のスタッフとして一つ一つできることを増やしていって、ここ数年は本当に顔つきも変わった、今ではちゃんと機能するスタッフになれたスタッフが勤続10年を迎えてて本当によかったと思っている。

当時、管理職たちは彼女に私の仕事を教えるのが時間の無駄だと反対していた。そして、本当に無駄だった・・・うちの管理職陣の予想は結構、正しい。最初っからアドミンに腰落ち着けてやらせてたほうが早かった。なので、私は今は「技術移転しろと言われたら頑張る、でもどこがギブアップのタイミングなのか、できる人なのか、見極めるのはよろしくね」・・・人事の判断は丸投げしている。

↓夢の技術移転とはしゃいでいた頃のブログ。懐かしい。JICAに技術移転して派遣必要ないようにしてねってずっと言われてたけど、直接必要人材を雇用するというソリューションに行き着いた配属先。。。

JICAボランティアだった期間を含めれば、6年近くすでにここで働いています。

もともと、日本を発ったのはデザイナーとして非営利のクライアントだけでやっていきたいと思ったから。研究所の広報という形がこの世界にたまたまあったのに巡り合った感じです。

当初の頃は一村一品的なコミュニテイ開発でのパッケージデザインや医療系団体の大手NGOの広報などを想定していました。環境保護系のファンドは日本からは遠く、こうしたポジションが入る余地があることを想定していませんでした。

「サイエンス・コミュニケーション」と米国の大学の先生たちが呼ぶ分野が日本では非常に手薄です。このポジションが成立するのは環境ファンドが降りる太平洋諸国ならではなのかもしれません。特にパラオと共同している米国の大学は資金の取り合いが激しいと見え、広報に対する意識の比重がとても高い。教授陣の意識が日本の関係者とは雲泥の差があると感じています。

リクエストは増加しており、また、私がサンゴ礁センターで働いた期間が長いことで、できることも年々増えてきています。アウトリーチのスタッフで以前は完結されていたことでも、スタッフが新人になってしまったために進行が難しくなった案件の手伝いに入ることも多いです。以前は他のスタッフが作成していた原稿も今は、ほぼこちらで全部作成しています。

流石に休みたくなってきた・・・来年は絶対 一時帰国するぞ。